大倉山のピアノ教室、フランス語教室「スタジオ・ユールhttp://www.studio-jul.com 」の川田です。当ブログをご覧頂きありがとうございます。
日本でも密かに話題になっていますが、1月は世界的な「禁酒月間」です。英語では「Dry January」、フランス語では「Le défi de janvier」と呼ばれています。興味のある方は、下記のURLを閲覧ください。
https://alcoholchange.org.uk/(英語)
https://dryjanuary.fr/ (フランス語)
このキャンペーンの意図は、飲酒を完全に止めることではなく、1ヶ月間、断酒をする、あるいは飲酒量を減らすことによって、理由もなく自動的に飲酒をすることを止めて、意識的な飲酒に変えていくことです。
またフランスでは、歴史的にアルコール中毒が社会問題となっていますが、コロナの影響でリモートワークが増え、飲酒量も以前に比べて増えているようです。
禁酒の効果は、節約ができる、集中力が高まった、良く眠れる、お肌の状態が改善したなど、参加者からの声として載せられています。
このキャンペーンでは、楽しく禁酒ができるように、特設のサイトを作り、遊び感覚で禁酒運動に参加できます。
私自身、この情報を得たのが1月半ばだったこともあり、皆さんに情報をお伝えするのが遅くなってしまったのですが、来年の1月は、皆さんもこのキャンペーンに参加してみてはいかがでしょうか。
2021年01月16日
バイリンガル(2)
大倉山のピアノ教室、フランス語教室「スタジオ・ユールhttp://www.studio-jul.com 」の川田です。当ブログをご覧頂きありがとうございます。
今日も前回から引き続き、バイリンガルの話です。今回は両親のいずれかが外国人の場合です。
両親のどちらかが外国人の場合は、外国語を強制するしかないと思います。おじいちゃん、おばあちゃん、親戚に会いに行って話をするときには絶対に必要です。あちらの親戚が全員日本語を話してくれる場合は別ですが、そのようなことは滅多にありません。
それに、将来的に親の生まれ故郷に住むことになるかもしれないですよね。そのときに現地の学校に行っても困らない程度の能力は身につけておかなければいけません。いずれにしろ、子供の頃には住んでいない方の国の言葉を学びたがらないことが多い割には、大人になって「なんで強制してくれなかったの」と言ったりするのを何度も見て来ているので、子供が自主的に勉強し始めるのを待つという選択肢は、将来、子供から苦情を言われることを覚悟して放置するということになるのでしょう。でも、普通の勉強でもやらせるのに四苦八苦するのに、さらに外国語を勉強させるのは親としては大変ですし、親子バトルも頻発するでしょう。
その上、今は小学校から英語もあり、親が英語圏の出身でなければ、3カ国語を同時に学ばなければなりません。
知り合いに、フランス生まれフランス育ちの日本人で、ギリシャ人と結婚した方がいるのですが、彼女自身は日本語が不自由なので、子供には日本語を強制しませんでした。子供たちはフランス語はもちろんですが、ギリシャ語を少し話す程度のバイリンガルでしたが、子供たちの方から「私たちは日本人でもあるから」と言い始めて、日本語も勉強し始めたという珍しいケースもありました。
私の友人は、先ほど書いたように、日本語で簡単な話はできるのですが、それほど深い話はできないので、話が複雑になってくると、私のような日本人相手でもフランス語に切り替えます。また、日本で生まれて育ったフランス人と日本人のハーフの知り合いも、日本に居ながらフランスの学校に通っていたので、複雑な話はフランス語です。訛りもなく日本語を話すので、とても変な感じがしますが、彼女曰く「ちょっと複雑な話は日本語でする自信がない」のだそうです。
結局のところ、どれか1カ国語をしっかりやっておかないと、将来深く考えることができなくなるということになるのでしょう。ですから、英語に一生懸命になるあまり、日本語の教育を怠ると、表面的なことしか考えられない人間になってしまいます。哲学者など深く思考する人は、モノリンガルであることがほとんどですし、日本人が高度な学力を身につけることができたのも、高等教育を日本語で受けられ、日本語で高度なことを考えることができるという環境があるからなのだと思います。
外国語の能力がどこまで伸びるかというのも、結局のところ母国語での高度な思考力がどの程度あるかにかかっているといえるのではないでしょうか。
今日も前回から引き続き、バイリンガルの話です。今回は両親のいずれかが外国人の場合です。
両親のどちらかが外国人の場合は、外国語を強制するしかないと思います。おじいちゃん、おばあちゃん、親戚に会いに行って話をするときには絶対に必要です。あちらの親戚が全員日本語を話してくれる場合は別ですが、そのようなことは滅多にありません。
それに、将来的に親の生まれ故郷に住むことになるかもしれないですよね。そのときに現地の学校に行っても困らない程度の能力は身につけておかなければいけません。いずれにしろ、子供の頃には住んでいない方の国の言葉を学びたがらないことが多い割には、大人になって「なんで強制してくれなかったの」と言ったりするのを何度も見て来ているので、子供が自主的に勉強し始めるのを待つという選択肢は、将来、子供から苦情を言われることを覚悟して放置するということになるのでしょう。でも、普通の勉強でもやらせるのに四苦八苦するのに、さらに外国語を勉強させるのは親としては大変ですし、親子バトルも頻発するでしょう。
その上、今は小学校から英語もあり、親が英語圏の出身でなければ、3カ国語を同時に学ばなければなりません。
知り合いに、フランス生まれフランス育ちの日本人で、ギリシャ人と結婚した方がいるのですが、彼女自身は日本語が不自由なので、子供には日本語を強制しませんでした。子供たちはフランス語はもちろんですが、ギリシャ語を少し話す程度のバイリンガルでしたが、子供たちの方から「私たちは日本人でもあるから」と言い始めて、日本語も勉強し始めたという珍しいケースもありました。
私の友人は、先ほど書いたように、日本語で簡単な話はできるのですが、それほど深い話はできないので、話が複雑になってくると、私のような日本人相手でもフランス語に切り替えます。また、日本で生まれて育ったフランス人と日本人のハーフの知り合いも、日本に居ながらフランスの学校に通っていたので、複雑な話はフランス語です。訛りもなく日本語を話すので、とても変な感じがしますが、彼女曰く「ちょっと複雑な話は日本語でする自信がない」のだそうです。
結局のところ、どれか1カ国語をしっかりやっておかないと、将来深く考えることができなくなるということになるのでしょう。ですから、英語に一生懸命になるあまり、日本語の教育を怠ると、表面的なことしか考えられない人間になってしまいます。哲学者など深く思考する人は、モノリンガルであることがほとんどですし、日本人が高度な学力を身につけることができたのも、高等教育を日本語で受けられ、日本語で高度なことを考えることができるという環境があるからなのだと思います。
外国語の能力がどこまで伸びるかというのも、結局のところ母国語での高度な思考力がどの程度あるかにかかっているといえるのではないでしょうか。
posted by マカロン at 17:55| フランス語
2021年01月12日
バイリンガル
大倉山のピアノ教室、フランス語教室「スタジオ・ユールhttp://www.studio-jul.com 」の川田です。当ブログをご覧頂きありがとうございます。
フランス語教育法の論文を締め切り日より1週間近く早く提出し、ほっと一息ついています。この論文を書いていく中で、バイリンガルというものについて何度か考える機会がありました。
バイリンガルとは何でしょう。ご存知の通り、2つの異なる言語を使えるということですね。ですが、そのレベルは様々です。両言語ともに同じレベルにはない、あるいはなり得ないという説があります。つまりどちらか一方の言語の能力が勝っているという状態ですね。私が見る限りでは、こちらの方が一般的だと思います。
自分自身のことを考えてみると、フランスに住んでいたときには、学校でもプライベートでもフランス語、大学にも通っていたので授業もレポートも試験ももちろんフランス語なので、全てをフランス語で考えていましたし、かなり高度なフランス語運用力を獲得していたと思います。立ち居振る舞いや考え方もどんどんフランス化していきます。ですが、残念なことに、どんなに努力しても、フランス人のようにフランス語ができるようにならないのです。だけれども、日本語もどんどん忘れていく。というより、日本語が出なくなってくるし、日本語で考えられなくなってきます。フランス滞在が長くなればなるほど、この言語的に宙ぶらりんな自分にやるせなさを感じていました。それなのに、周りの人たちは「日本人ってどうなの?」と私を日本人の代表としていろいろな質問をしてきます。なので、日本人としての特性を活かした仕事に就かないと、この先フランスで生き残っていくことはできないのではないか、とも考え始めたりしていました。実際、周りにいる日本人の多くの方々はそうでした。このときに、自分のアイデンティティが崩壊しそうになり、本当に辛かったですね。
で、今は日本に戻って来て14年経ちましたが、今回フランス語で論文を書かなければいけない段階になって、はたと困ってしまったのです。なぜかというと、フランス語では物事を深く考えられなくなってしまっていたからです。授業はすべてフランス語で受けていたし、論文を書くために読んだ多くの論文もフランス語のものでしたので、考えるネタになる情報はすべてフランス語で得ていましたので、それらの情報を元にいざ書こうとしたら、完全に頭がフリーズしてしまいました。
そこで、フランス語と日本語の両方を使って考えることにしようと、両言語間を行ったり来たりという方法を取りました。それでも、最初は日本語でなんというのか知らない単語ばかりだったので、日本語の文章にフランス語を当てはめて考えるという、なんとも非効率なことをしていたのですが、少しずつこの状態にも慣れることができて、なんとか今回の論文は乗り切ったのですが、フリーズの状態から抜け出すまでは本当に苦しかったです。
「子供をバイリンガルにしたい!」と小さい頃から英語を習わせる親御さんが増えてきていますが、最終目標をどこにするのかをある程度決めおかないといけないのかなと思っています。表面的な話だけできればいいのか、つまり旅行や暮らす際に用が足せればいいのか、友人と話ができる程度でいいのか、それとも物事を深く考えられるくらいの語学力も身につけさせるのか、、、アイデンティティの問題も絡んでくるので、難しい問題です。
どちらかの言語にどうしても偏るということが前提であるならば、どちらかの言語だけは、物事を深く考えられるくらいの言語レベルにしておかないといけないということですね。それを日本語で鍛えるのか、なんらかの外国語で鍛えるのか、選択しなければいけないということになるでしょう。
両親のどちらかが外国人の場合はもっと複雑です。お母さんにとっては、本当に大きな悩みの種になっています。それについては、次の機会にお話しましょう。
フランス語教育法の論文を締め切り日より1週間近く早く提出し、ほっと一息ついています。この論文を書いていく中で、バイリンガルというものについて何度か考える機会がありました。
バイリンガルとは何でしょう。ご存知の通り、2つの異なる言語を使えるということですね。ですが、そのレベルは様々です。両言語ともに同じレベルにはない、あるいはなり得ないという説があります。つまりどちらか一方の言語の能力が勝っているという状態ですね。私が見る限りでは、こちらの方が一般的だと思います。
自分自身のことを考えてみると、フランスに住んでいたときには、学校でもプライベートでもフランス語、大学にも通っていたので授業もレポートも試験ももちろんフランス語なので、全てをフランス語で考えていましたし、かなり高度なフランス語運用力を獲得していたと思います。立ち居振る舞いや考え方もどんどんフランス化していきます。ですが、残念なことに、どんなに努力しても、フランス人のようにフランス語ができるようにならないのです。だけれども、日本語もどんどん忘れていく。というより、日本語が出なくなってくるし、日本語で考えられなくなってきます。フランス滞在が長くなればなるほど、この言語的に宙ぶらりんな自分にやるせなさを感じていました。それなのに、周りの人たちは「日本人ってどうなの?」と私を日本人の代表としていろいろな質問をしてきます。なので、日本人としての特性を活かした仕事に就かないと、この先フランスで生き残っていくことはできないのではないか、とも考え始めたりしていました。実際、周りにいる日本人の多くの方々はそうでした。このときに、自分のアイデンティティが崩壊しそうになり、本当に辛かったですね。
で、今は日本に戻って来て14年経ちましたが、今回フランス語で論文を書かなければいけない段階になって、はたと困ってしまったのです。なぜかというと、フランス語では物事を深く考えられなくなってしまっていたからです。授業はすべてフランス語で受けていたし、論文を書くために読んだ多くの論文もフランス語のものでしたので、考えるネタになる情報はすべてフランス語で得ていましたので、それらの情報を元にいざ書こうとしたら、完全に頭がフリーズしてしまいました。
そこで、フランス語と日本語の両方を使って考えることにしようと、両言語間を行ったり来たりという方法を取りました。それでも、最初は日本語でなんというのか知らない単語ばかりだったので、日本語の文章にフランス語を当てはめて考えるという、なんとも非効率なことをしていたのですが、少しずつこの状態にも慣れることができて、なんとか今回の論文は乗り切ったのですが、フリーズの状態から抜け出すまでは本当に苦しかったです。
「子供をバイリンガルにしたい!」と小さい頃から英語を習わせる親御さんが増えてきていますが、最終目標をどこにするのかをある程度決めおかないといけないのかなと思っています。表面的な話だけできればいいのか、つまり旅行や暮らす際に用が足せればいいのか、友人と話ができる程度でいいのか、それとも物事を深く考えられるくらいの語学力も身につけさせるのか、、、アイデンティティの問題も絡んでくるので、難しい問題です。
どちらかの言語にどうしても偏るということが前提であるならば、どちらかの言語だけは、物事を深く考えられるくらいの言語レベルにしておかないといけないということですね。それを日本語で鍛えるのか、なんらかの外国語で鍛えるのか、選択しなければいけないということになるでしょう。
両親のどちらかが外国人の場合はもっと複雑です。お母さんにとっては、本当に大きな悩みの種になっています。それについては、次の機会にお話しましょう。
posted by マカロン at 10:11| フランス語