大倉山のピアノ、音楽、フランス語の教室「スタジオ・ユールhttp://www.studio-jul.com 」の川田です。ブログをご覧頂きありがとうございます。
今日は「幸せ」をテーマに、最近読んだ幸福学の第一人者前野隆司さんの著書のレビューです!
幸福学という学問分野があります。少し前から注目されている分野ですので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。前野隆司さんの著書『幸せのメカニズム――実践・幸福学入門』(講談社現代新書 2013年)は以前から読みたいと思っていた本で、やっと読むことができました! 前野さんのお話は、インターネットで検索するとたくさんヒットしますので、興味のある方は、本と併せて読んでみてください。幸せな気分になれます(笑)。
この本では、これまでの幸福学研究の現状やこれからの展望も含まれていますが、主要な内容は、彼の研究チームによる日本人1500人へのアンケート調査の因子分析によって、「幸せである」あるいは「幸せになる」4つの因子が導きだされたことでしょう。
それは、以下の4つです。
1)「やってみよう!」因子(自己実現と成長の因子)
2)「ありがとう!」の因子(つながりと感謝の因子)
3)「なんとかなる!」の因子(前向きと楽観の因子)
4)「あなたらしく!」の因子(独立とマイペースの因子)
上記の4つの幸せの因子を満たせば幸福になれるはず、ということで、現代において幸福になるにはどうすると良いかについても提案されています。
4つの因子の特徴について簡単に説明しましょう。
1)「やってみよう!」因子は、著者の言をそのまま引用すれば、「地球上の人類70億人が、70億通りのやり方で、小さくてもいいから自分らしさを見つけ、その70億分の1の個性を生かして、社会の中で自分らしく生きていくようなあり方」のこと、要するに、各個人が自分にしかない能力を社会生活の中で発揮できるということですね。アインシュタインの言も引用しています。「誰もが天才だ。しかし、魚の能力を木登りで測ったら、魚は一生、自分はだめだと信じて生きることになるだろう。」
2)「ありがとう!」の因子は、他者との繋がりと感謝についてですが、他人との繋がりはその数の多さではなく、その多様性が、主観的幸福度の高さに関与しているのだそうです。例えば、SNSでたくさんの「いいね」をもらうよりも、様々な職業の人や年齢の人などとの繋がりがあることの方が、本人の幸福度は高いということですね。それから、社会貢献やお金を他人のために使うなど、他人を幸せにすることは幸福感を高めるのに貢献してくれるようです。
3)「なんとかなる!」の因子は、楽観性、気持ちの切り替え、積極的な他者関係、自己受容などのことで、自分についても他人についてもネガティヴなことは言わない、とことん突き詰めるようなことはせず、そこそこで満足するなど、足るを知ることが幸福感に繋がっているようです。それから、面白くなくても笑うこと。口角を上げるだけで、楽しい気分になることが知られていて、笑うことで幸福感を得られるというのは、以前から言われていることですね。
4)「あなたらしく!」の因子は、社会的比較志向がない、制約を感じない、自己概念が明確であるなど、人の目を気にしない、マイペース、感情や気分を抑制しないことが幸福感につながるということです。
教育は幸せに貢献しないという研究結果もあるそうですが、著者は、教育は幸せに寄与すべきで、教育者が、教育が幸せの4つの因子にどのように影響するかを考えてカリキュラムを構成すべきだと、述べています。
また、音楽、絵画、ダンス、陶芸などの美しいものを鑑賞する人よりも、それらを創造する人の方が幸せであることにも触れています。幸福感にとって重要なことは、何かを創造して、小さくてもいいから、自己実現や成長を日々感じることだと述べられています。
私の願いは、ピアノを通して子供たちに幸せを感じて欲しいということです。現代社会は、環境汚染や大規模災害、経済的な不安定さなど将来が予見できないことから、大人だけでなく子供たちにとっても幸福を感じづらい時代ではないかと思っています。親たちの将来不安から、子供たちが幼い頃から不必要な競争に晒されている現実を目の当たりにするにつけ、子供たちがもっと伸びやかに健やかに育つ環境を用意してあげられないかと日々、心を傷めています。
そうは思っても、私にできることは多くありません。けれども、日頃のレッスンで子供たちの様子を見る限り、ピアノや音楽を通して、子供たちは、自己肯定感や自己効力感を感じていると確信しています。
毎日の練習を通して、少しずつでも新しい課題に挑戦し、達成していくことで、「やればできる!」という自己効力感を得ることができ、それと同時に、そんな自分を肯定的に受け入れることもできます。将来にわたって幸福感を感じられる土台を作ってあげられるといいなあと思いながら、日々、子供たち全員のために違うカリキュラムを考えています!
2019年12月14日
音楽の演奏やピアノを弾くことを通して、子供たちに幸せな人生を歩んで欲しい。これが私の願いです。
posted by マカロン at 17:55| Comment(0)
| ブックレヴュー
2019年12月02日
英語教育の早期化について考える
大倉山のピアノ、音楽、フランス語の教室「スタジオ・ユールhttp://www.studio-jul.com 」の川田です。
ブログをご覧頂きありがとうございます。今日は、先日読んだ本のレヴューをしたいと思います。子育てに関係しそうな本を読んだときには、レヴューをして、是非、皆さんと意見を共有できたらいいなと思っています。
今回は少し長いのですが、昨今の日本の英語教育には疑問を感じざるを得ないので、私の個人的な意見も付けて簡単にレビューしました。興味のある方は、是非、書籍全体を読んでみてください。
『間違いだらけの早期教育 その「英語」が子どもをダメにする』榎本博明 青春出版社 2017年
著者は、本書において、早期の英語教育が子供の思考力に及ぼす弊害に関する心理学、脳科学、英語教育研究の分野からの研究結果を例示しつつ、子供たちの思考力低下に影響を及ぼしている英語教育早期化の危険性について論じています。それと同時に、子供の将来のために、親自身が適切な教育方針を貫けるよう、有用な情報を豊富に提供しつつ、今後、親が取るべき指針も示しています。
著者の主張はおおよそ次の2点に集約されるのではないでしょうか。1点目は、現在の日本における英語教育の早期化に対する懸念、2点目は、会話中心の英語教育による思考の浅薄化に対する懸念です。
第1の「英語教育早期化」による危険性については、「セミリンガル」の問題を取り上げて説明しています。「セミリンガル」とは、日本語力も英語力も中途半端で、思考の道具としての言語を失った状態のことです。この問題は、以前は帰国子女の問題とされてきましたが、現在は幼児期からの英語教育熱により、日本で生まれ育った子供にも起こりかねない問題となっています。
第2の「思考の浅薄化」による危険性については、日本人の中学生・高校生の日本語の文章の「読解力低下」の問題に触れ、日本語を用いてさえも深く物事を考えられない子供たちの増加に警鐘を鳴らしています。つまり、日本語で考えを深めるまでの思考力が育っていない状態で、薄っぺらい会話中心の英語教育が行われるとどうなるか、というと、日本語も英語もろくに使えない、知的水準の低い、薄っぺらい人間になるということです。
このような人間は、これから簡単にAIに代替される人間になってしまうだろうと述べています。なぜなら、AIの苦手なことは「読解」であり、思考力を鍛えなければ、将来、職を失うことになるからです。
本来、深い思考力を育てるはずの教育の場で、これからますます増えていく訪日外国人に道案内をする程度の英語力を身につけるために、大事な時間を割かないで欲しいとも述べています。実際、本書には、中学生の英語力の低下が顕著に確認できるデータが掲載されています。
著者は最後に、AIに代替されない人になるために、EQを育てる教育の重要性を訴えています。EQとは、対自的能力(自分の感情を理解し、それをコントロールする能力)と対他的能力(他人の感情を理解し、それに対応する能力)のことで、昔からしつけや教育の中で、忍耐力や粘り強さ、共感性などとして身につけさせてきたことです。IQではなく、EQが高い方が、ストレス対処力、学業成績、職業的成功度すべてにおいて高く、社会適応が良く、幸福感が高いなどのデータがあります。もっと、子供たちに自然体験と人間関係を豊富に経験させるよう提言していました。
ここからは私の個人的な意見ですが、著者の意見に全面的に賛成です。私自身もバイリンガル(日⇄仏)ですので、その辺の経験については、どこかでお話できればと思っていますが、文科省は、どの程度のレベルの英語を使えるようにさせたいのか、また英語教育によって、子供たちに何を学んでもらいたいと考えているのか、その意図がはっきりとは見えません。ですので、数年でコロコロと変わる学習指導要領とやらに、親御さんが翻弄されないで欲しいと思います。
それから、英語が使えない、あるいは英語を使う必要のない生活を送っていらっしゃる方々が想像している、英語ぺらぺらのイメージとはどんなものなのでしょうか?話す内容のない人は、スキルを身につけたとしても使うことはないだろうし、そのような話題に乏しい人の話は誰も聞いてくれません。
日本人が日本語で高等教育を受けられることのありがたみを感じている人は、とても少ないと思います。おそらく、そんなこと考えたこともない日本人が殆んどでしょう。日本人が最後の最後まで、日本語で考えることができるからこそ、今の日本の発展があり、現在のノーベル賞受賞ラッシュがあると思います。
2014年時点で開発中だった自動翻訳のレベルは、同時通訳経験1年と同じ精度・速度に達しているそうです。このような中で、果たして日常会話やビジネス会話程度の英語力を育てるために、国を挙げて英語教育に注力する必要がどの程度あるのでしょうか?親御さんたちには、是非、周囲の空気に流されることなく、将来世代の教育を担っていただきたいと思います。
ブログをご覧頂きありがとうございます。今日は、先日読んだ本のレヴューをしたいと思います。子育てに関係しそうな本を読んだときには、レヴューをして、是非、皆さんと意見を共有できたらいいなと思っています。
今回は少し長いのですが、昨今の日本の英語教育には疑問を感じざるを得ないので、私の個人的な意見も付けて簡単にレビューしました。興味のある方は、是非、書籍全体を読んでみてください。
『間違いだらけの早期教育 その「英語」が子どもをダメにする』榎本博明 青春出版社 2017年
著者は、本書において、早期の英語教育が子供の思考力に及ぼす弊害に関する心理学、脳科学、英語教育研究の分野からの研究結果を例示しつつ、子供たちの思考力低下に影響を及ぼしている英語教育早期化の危険性について論じています。それと同時に、子供の将来のために、親自身が適切な教育方針を貫けるよう、有用な情報を豊富に提供しつつ、今後、親が取るべき指針も示しています。
著者の主張はおおよそ次の2点に集約されるのではないでしょうか。1点目は、現在の日本における英語教育の早期化に対する懸念、2点目は、会話中心の英語教育による思考の浅薄化に対する懸念です。
第1の「英語教育早期化」による危険性については、「セミリンガル」の問題を取り上げて説明しています。「セミリンガル」とは、日本語力も英語力も中途半端で、思考の道具としての言語を失った状態のことです。この問題は、以前は帰国子女の問題とされてきましたが、現在は幼児期からの英語教育熱により、日本で生まれ育った子供にも起こりかねない問題となっています。
第2の「思考の浅薄化」による危険性については、日本人の中学生・高校生の日本語の文章の「読解力低下」の問題に触れ、日本語を用いてさえも深く物事を考えられない子供たちの増加に警鐘を鳴らしています。つまり、日本語で考えを深めるまでの思考力が育っていない状態で、薄っぺらい会話中心の英語教育が行われるとどうなるか、というと、日本語も英語もろくに使えない、知的水準の低い、薄っぺらい人間になるということです。
このような人間は、これから簡単にAIに代替される人間になってしまうだろうと述べています。なぜなら、AIの苦手なことは「読解」であり、思考力を鍛えなければ、将来、職を失うことになるからです。
本来、深い思考力を育てるはずの教育の場で、これからますます増えていく訪日外国人に道案内をする程度の英語力を身につけるために、大事な時間を割かないで欲しいとも述べています。実際、本書には、中学生の英語力の低下が顕著に確認できるデータが掲載されています。
著者は最後に、AIに代替されない人になるために、EQを育てる教育の重要性を訴えています。EQとは、対自的能力(自分の感情を理解し、それをコントロールする能力)と対他的能力(他人の感情を理解し、それに対応する能力)のことで、昔からしつけや教育の中で、忍耐力や粘り強さ、共感性などとして身につけさせてきたことです。IQではなく、EQが高い方が、ストレス対処力、学業成績、職業的成功度すべてにおいて高く、社会適応が良く、幸福感が高いなどのデータがあります。もっと、子供たちに自然体験と人間関係を豊富に経験させるよう提言していました。
ここからは私の個人的な意見ですが、著者の意見に全面的に賛成です。私自身もバイリンガル(日⇄仏)ですので、その辺の経験については、どこかでお話できればと思っていますが、文科省は、どの程度のレベルの英語を使えるようにさせたいのか、また英語教育によって、子供たちに何を学んでもらいたいと考えているのか、その意図がはっきりとは見えません。ですので、数年でコロコロと変わる学習指導要領とやらに、親御さんが翻弄されないで欲しいと思います。
それから、英語が使えない、あるいは英語を使う必要のない生活を送っていらっしゃる方々が想像している、英語ぺらぺらのイメージとはどんなものなのでしょうか?話す内容のない人は、スキルを身につけたとしても使うことはないだろうし、そのような話題に乏しい人の話は誰も聞いてくれません。
日本人が日本語で高等教育を受けられることのありがたみを感じている人は、とても少ないと思います。おそらく、そんなこと考えたこともない日本人が殆んどでしょう。日本人が最後の最後まで、日本語で考えることができるからこそ、今の日本の発展があり、現在のノーベル賞受賞ラッシュがあると思います。
2014年時点で開発中だった自動翻訳のレベルは、同時通訳経験1年と同じ精度・速度に達しているそうです。このような中で、果たして日常会話やビジネス会話程度の英語力を育てるために、国を挙げて英語教育に注力する必要がどの程度あるのでしょうか?親御さんたちには、是非、周囲の空気に流されることなく、将来世代の教育を担っていただきたいと思います。
posted by マカロン at 10:13| Comment(0)
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