横浜市大倉山のピアノ教室、フランス語教室「スタジオ・ユールhttp://www.studio-jul.com 」の川田です。当ブログをご覧頂きありがとうございます。
今日は晴れて暖かくなるようです。急に寒くなったので、庭にまいたスナップエンドウの種が発芽するか心配でしたが、先ほど確認したら、ほぼ全て発芽していました!春にぷくぷくに育ったスナップエンドウの収穫を楽しみに、成長するのを見守りましょう。
ところで、最近、次世代の育成について、しょっちゅう考えています。どんどん子どもが少なくなる中、どうやって人材を育て、適材適所に配置していくのか。それをしなければ、日本はどんどんこのまま衰退していくのではないか、、、という心配もあります。
つとに思ってきたのは、日本ではいかなる分野においても人材が適切に活用されていないということです。私は、クラシック音楽や研究の分野に身を置いていたので、それを本当に強く感じます。自力で才能を磨いてきた人たちが、日本社会のためにその才能を活用できていません。またフランスから戻ってきて強烈に感じた違和感は、日本人は人材を発掘し育てるという視点に欠けているということです。
日本芸術文化振興会で研究員をしている時に「次世代育成のための」と銘打った教育プログラムの調査に関わってきましたが、これらの事業には、結局のところ一部の層しかアクセスできていないという問題がありました。おそらく現在でもそれほど大きく状況は変わっていないでしょう。
その層というのは、音楽教育だけでなく教育全般に熱心で、ある程度経済的に余裕のある保護者を持つ子どもたちです。このような企画は、才能があっても環境に恵まれない子どもたちに、我々がアクセスする機会とはなり得ません。
学校との連携プログラムとして、一部のオーケストラや音楽ホールが公立の学校と連携して、授業の一環としてコンサートを聴いてもらう機会を提供していますが、これも1年に1回、その機会を与えたからといって、その後もコンサートへ出掛けてくれるかどうかは保護者次第ということになります。
「クラシック音楽は一部の人のもの」という概念を崩すために、ゲーム音楽やカジュアルなスタイルで楽しめるようなイベントなども企画されますが、それはもしかしたらクラシック音楽への入り口になりうるのかもしれませんが、真にクラシック音楽に親しんでいるということとも違います。
日本全体の知的な層や知的好奇心を持ち続けられる土壌が社会全体で痩せ細ってきているーーつまり、音を楽しむだけでなく、歴史や哲学、美学、音楽理論など複合的な文化への探究心があってこそ味わうことができるクラシック音楽の聴き手の衰退に直結する問題です。
音大の状況を鑑みる限り、経済的に日本全体が豊かであった時代には考えられなかった状況が繰り広げられています。
クラシック音楽自体へのアクセスが、結局のところ、家庭の文化資本や経済力に左右される状況は、教育格差との問題と根っこの部分で同じです。
今必要なのは「音楽を聴くことが知的な営みである」という価値観を社会全体で再評価することなのかもしれません。ただの娯楽や消費財としてではなく、文化の深層を支える水脈のようなものだからこそ、その価値を再発見して、次世代にどう伝えていくか、真剣に考える時期なのかもしれません。
ですが、政治の世界と同じで、今の状況を嘆いているだけで、何もしない、あるいはできない人ばかりです。私も同じ状況です。草の根的な活動で何かできることはないか、、、と日々考えていますが、やはり、業界全体が協力しあって知恵を絞るしかないのだと思います。